Technology & Service 技術の礎

技術の礎SINCE1923 Technology Foundation

技術力にこだわり、
未来へ発展させていくDNA 。

私たちは1923年に創業して以来、「技術の斎久」を標榜し、時代とともにその技術力と想いを脈々と継承しております。
また、新しい技術を取り入れるための挑戦や努力を惜しみません。

齋藤久孝

斎藤久孝

Hisataka Saitoh

創業者・齋藤久孝の理念

1923年(大正12年)に斎久工業の前身である「斎藤久孝事務所」を創業。
純粋な技術者である斎藤久孝は、施工業者としてあくまでも施主が満足する仕事、漏水や故障のない良い仕事をし、信頼されることを第一においていた。また、工員ならびに見習いは臨時雇いが多い時代であったが、常雇いとし、夜中でもすぐ出勤できる態勢を敷いた。
創業の年は関東大震災後の復旧工事である被災者救済のための臨時病院の給排水工事に従事。復興という社会公益的な観点から請負工事に忙殺された期間であった。
1926年(大正15年)には本格的な衛生設備・汚水処理設備工事として第一号工事(「東京府美術館」)を実施。当時は汚水浄化槽の設計・施工も行うなど衛生設備とともに優れた技術力を発揮した。

profile齋藤久孝プ ロフィール

明治7年(1874)
鹿児島生まれ 本名:本田時彦
明治7年(1874)
上京
明治30年(1897)
東京高等工業学校付設工業教員養成所建築科入学(1期生)
在学中、齋藤久慎の長女と結婚。齋藤久孝と改名
明治41年(1908)
曾禰中條建築事務所創立時に入所
明治43年(1910)
ロンドンでの「日英博覧会」に農商務嘱託として参加
その後1年間イギリスに留学
大正3(1914)~5年(1916)
鹿児島山形屋呉服店建築工事の設計施工管理を行う
大正5(1916)~7年(1918)
旧第百四十七銀行本店(鹿児島銀行別館)建築工事の 設計施工管理を行う 曾禰中條建築事務所在職中、
「京三商会水道部」を作り自らの設計物件を工事委託
大正9年(1920)
「日本水道衛生工事株式会社」設立に参加
大阪の水道工務所と京三商会水道工事部を合併して設立
大正11年(1922)
2か月間渡米しアメリカの最新式の技術を吸収
大正12年(1923)
日本水道衛生工事株式会社を辞職
同年7月
「斎藤久孝事務所」を創業
大正15年(1926)4月6日
逝去

曾根田又雄

曾根田又雄

Matao Soneda

2代目所長が国内初の「衛生設備の本」出版

1927年(昭和15年)年、創業以前から事業的出発を共にしていた曾根田又雄が2代目所長(支配人)に。
曾根田は衛生器具の開発や国内初の衛生設備の本を共同出版するなど、建築近代化の風潮を背景に、斎藤久孝事務所の事業活動の基盤を築きあげた。

profile曾根田又雄 プロフィール

明治13年(1880)6月
東京生まれ
明治39年(1906)3月
東京高等工業学校教員養成所建築科卒
同年4月
三菱地所部 入社
大正5年(1916)5月
三菱地所部 辞職
朝鮮京城工業専門学校建築科 教授として赴任
大正9年(1920)
日本水道衛生工事業 入社
大正12年(1923)7月
「斎藤久孝事務所」 創業に参加
大正15年(1926)4月
斎藤久孝事務所 2代目所長に就任
昭和4年(1929)10月8日
「建築設備 暖房、換気、衛生、水道」 発行
柳町政之助、曽根田又雄 共同出版
昭和7年(1932)11月8日
逝去
  • 登録実用新案

    ● フラッシュバルブ
    ● ふたば印エボニアシート(便座)
    ● MS式ルーフドレン

    登録実用新案

  • 書籍

    「建築設備 暖房、換気、衛生、水道」1929年(昭和4年10月8日発行)
    柳町政之助氏との共同出版

    書籍

小川誠耳

小川誠耳

小川誠耳

Seiji Ogawa

「技術の斎久」の基礎を確立した小川誠耳

小川誠耳は創業当時のメンバーであり、設計部長・支配人などを歴任し「技術の斎久」の基礎を築くとともに、わが国の管工事の先駆者として尽力した。
書籍「衛生工事の排水と通気 そのⅠ~Ⅲ」は空気調和・衛生工学会賞を受賞し、研究者や実務者のバイブルとなるなど、給排水・衛生工事業界の発展に大きく貢献した。

profile小川誠耳プロ フィール

明治26年(1893)3月
岐阜生まれ
明治42年(1909)7月
攻玉社工学校土木本科(夜間)入学
同月
内務省 東京市水道拡張調査事務所 入所
(中島鋭治工学博士のもとで水源系の測量活動に従事)
明治44年(1911)
鉄道院に奉職
中島博士とともに東京駅衛生工事の設計に従事
明治45年(1912)2月
攻玉社工学校土木研究科(夜間)卒業
大正3年(1914)2月
鉄道院辞職
東京市役所水道拡張課に奉職
創業者からの設計手伝いの依頼がこれが機縁となる
大正9年(1920)9月
日本水道衛生工事業 入社
大正12年(1923)7月
「斎藤久孝事務所」 創業に参加
昭和6年(1931)
斎藤久孝事務所 設計部長
昭和23年(1948)7月
斎藤久孝事務所 支配人
昭和26年(1951)1月
斎藤久孝事務所を法人化し「斎久工業株式会社」に改称
法人化に伴い、監査役に就任
昭和26年(1951)3月
アメリカ規格衛生工事規準 : 衛生工事最低要項 1949年度版 発行アメリカ規格協会 編、長谷川雅一、小川誠耳 共訳
昭和35年(1960)2月
「衛生工事の排水と通気 そのⅠ」発行
昭和38年(1963)11月
黄綬褒章
昭和39年(1964)2月
「衛生工事の排水と通気 そのⅡ」発行
昭和40年(1965)2月
「衛生工事の排水と通気 そのⅢ」発行
昭和42年(1967)4月
勲五等双光旭日章 受章
昭和45年(1970)
斎久工業 監査役退任
昭和48年(1973)
空気調和・衛生工学会賞 受賞
昭和50年(1975)9月18日
逝去
  • 書籍:小川誠耳 著

    ● 「衛生工事の排水と通気 そのⅠ」1960年(昭和35年2月)
    ● 「衛生工事の排水と通気 そのⅡ」1964年(昭和39年2月)
    ● 「衛生工事の排水と通気 そのⅢ」1965年(昭和40年2月)

    書籍:小川誠耳 著

村井義雄

村井義雄

村井義雄

Yoshio Murai

意匠登録と法人化

曾根田又雄が開発した「MS式ルーフドレン」は当時取締役の村井義雄(6代目社長)により改良が加えられ、「YM式ルーフドレン新案特許」(当社第1号)として意匠登録。これが戦後の米軍関連工事で大量に使用され会社の発展に寄与した。
1951年(昭和26年1月)には法人化し、斎久工業株式会社に改称。この年の新丸ビル(新丸ノ内ビルヂング)工事は、村井義雄考案の「YM式ルーフドレン」の採用もあって、斎久工業にとって戦後最大規模の工事であり、法人企業としての第一歩を飾るにふさわしいものとなった。

profile村井義男 プロフィール

明治44年(1911)3月
広島生まれ
昭和2年(1927)8月
「斎藤久孝事務所」入所 大阪事務所配属
昭和15年(1940)12月
日中戦争 西部第二部隊に招集
昭和21年(1946)5月
復員 大阪出張所に復帰
昭和26年(1951)1月
斎久工業 取締役大阪支店現業部長
昭和35年(1960)3月
斎久工業 東京本社 取締役現業部長 
昭和46年(1971)11月
斎久工業 常務取締役 
昭和50年(1975)11月
斎久工業 代表取締役社長 就任

出典:「斎久工業株式会社75年史」より抜粋

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